菊之助に追われて熊造と伝助は土手の上へ必死になって逃げていく。
 相手は十七歳の少年とはいえ、一刀流の免許皆伝を持つ女剣士、戸山浪路の実弟であり、美貌の烈女といわれる姉の手ほどきを受けて相当に腕は立つはずだ。しかも、雲助の一人を斬った実績もある。
 しかし、川っぷちまで追いつめられると熊造と伝助、窮鼠(きゅうそ)猫を噛むの血走った気分で振り返り、懐から匕首(あいくち)を引き抜いた。

「おのれ、熊造、父の仇、覚悟っ」

 紅顔可憐の美少年は土手の草を蹴り、熊造めがけて飛びかかっていく。

「うわっ」

 菊之助の切っ先の鋭さに熊造ははじき飛ばされ、草むらに尻もちをついた。

「この野郎っ、手前のような若造に討たれてたまるか」

 伝助が横手から匕首を斜めに構えて突進したが、態勢を取り戻した菊之助は掬い上げるように刀を振り、すると、伝助の持つ匕首は菊之助の刀にはじかれて根元からポキリと折れてしまったのである。
 菊之助の腕も立つが、彼の持つ刀も相当の業物(わざもの)で、伝助の顔面は真っ青になる。

 「待、待っておくんなさい、お坊っちゃま」

 などといい、伝助はへなへなとその場に腰を落としてしまった。
 とても腕ではかなわぬと見ると、元大島家の中間二人は地面に頭をすりつけんばかりにして命乞いを始めるのである。

「手前どものようなうじ虫同然の下郎を斬ったとてお手柄にもなりますまい。手前共二人、頭を丸めてお父上の菩提(ぼだい)をとむらいます故、何とぞ、命ばかりは ―― 」

「何を申すか、卑怯者、今さら、命乞いなど、聞く耳はもたぬ。さ、落ちた短刀を拾えっ」

 と、菊之助は眼をつり上げて叫び、その落ちている匕首の刃が割れているのに気づくと自分の腰の小刀を抜いてペコペコ頭を下げている二人の前に投げ出した。

「武器がなければ貸してやる。さ、その小刀を拾って向かって参れ」

 それが武士の情けというものかと伝助は感じながらも、しかし、戦う気力はなく、腰のあたりをガタガタ慄わしているのだ。

「何をしているのです。菊之助」

 三五郎一家の身内達を蹴ちらした浪路が小太刀を引っ下げて土手の上へかけ上がって来ると熊造と伝助はいよいよ生きた心地はなくなり、顔面はすっかり土色になってしまった。
 博徒達はその中でも一番腕の立つ武造が浪路の小太刀で眉間(みけん)を割られると一ぺんに戦意を喪失させ、手負いの仲間を方に担ぐようにして逃亡してしまったのである。

「姉上、こやつ等、腰がくだけて戦おうとしないのです」

「何という情けなさ、それでもあなた達は男なのですか」

 浪路は地面に這いつくばっている下郎二人に向かって吐き出すようにいった。

「立ちなさい、卑怯者っ」

 腰くだけになっている二人をこのまま斬るというのは武道に反すると思ったのか、浪路は鋭い声音で二人を叱咤するのだが、何をいわれても二人は戸山家の若奥様、何卒お慈悲を、お情けを、とくり返し、地面に頭をすりつけてばかりいる。