「ここが拙者の作った道場でござる。いかがでござるかな、浪路どの」

 重四朗は浪路をほとんど無理やりに道場へ連れこむと、八幡大菩薩の軸のかかった床の間や道場の梁や柱、そして、門弟達に毎日一応は磨かせている板敷の床などを指さして、

「あなたの御主人がお持ちになっておられた浜松の道場とは比較になりませんが、これでも材料だけはしっかりとしたものを用いました。柱にしても床の間にしても木の質だけは見事なものです」

 などと、やたらに自分に道場を自慢するのである。
 浪路は、本当に立派な道場でございますわ、と重四朗のいう事に一つ一つうなづいて見せながらもあきらかに当惑した表情になっている。
 ここへやって来たのは重四朗の作った道場を見学するためではない。父の大鳥善右衛門を惨殺した元、大鳥家の中間、熊造と伝助が重四朗を頼ってこの土地へ流れてきたのではないか、それを重四朗の口から聞き出すためであったのだ。
 それには一切、触れようとせず、重四朗は、では、浪路どの次にこちらにどうぞ、と道場脇の六帖の控え室に浪路を案内するのだった。
 襖(ふすま)は破れ、すり切れた畳の上には貧乏徳利やら欠けた湯呑み茶碗などが乱雑にとり散らかっていたが、重四朗はそれらを部屋の片隅へ押しやって梨の木でできた卓を部屋の中央へひっぱり出す。

「うちの門弟は無精者ぞろいで困ったものです。拙者がそのうち、嫁でも貰うようになれば少しは
家の中も片づくようになると思いますが」

 重四朗は座布団を持ち出し、それが綿のはみ出ているのに気づくとあわててひっくり返して畳みに敷き、

「さ、どうぞ、それへお坐り下さい」

 と、浪路にすすめるのであった。