改名始末記。
( 2018 / 1 / 08 )
インターネット上のエロ創作活動で使用する HN ( ハンドルネーム ) について。

『 須岡絵梨子 』(すおか えりこ) から 『 絵ろ屋 かおす』(えろや かおす)に変えることにした。

先月の2017年12月18日に 『 エル・カオス 』 から須岡絵梨子に変えたばかりなので、結果的に1ヶ月もたたないうちに2度もHNを変えるという不始末をしでかしたことになるわけで。我ながら「何やってんだ」と頭を抱えたくなってくる。

……とは言え。
それぞれの改名にはそれなりに考えがあってこと。
ここではその試行錯誤について思うところを述べておきたい。

まず、最初のエル・カオスについて。

実はこのHNは本名の一部をいじったものであり、我ながら面白い趣向のHNだと気に入っていたりするのだ。そもそもカオスというのは混沌を意味する言葉でもあり、秩序と対極の位置にある概念。エロ創作をおこなう上での名義に組み込むにはもってこいのワードなんじゃないか、と今でも思っている。

……の、ではあるが。

しかし、実際、このエル・カオスはHNの中に区切り点であるところの『・』が入っちゃっているのがネック。人とやりとりする文章の中に混ざるとテンポが狂うというか、けっこう使いにくいのだ。
また、2018年は本気で商業方面での活動を考えているため、カタカナ文字の創作名義は活動の場所を選ぶというか。フランス書院などの年配のファンが多い官能小説ブランドなどに、「挿絵描かせてください」と売り込む状況を想定すると、ちょっと気後れする。
また、元ネタがプロレスというのが心情的にきつくなってきた。高校生や大学生の頃は、もうキチガイのレベルでプロレスに熱い思いを抱いていたのだけど、それももう遠い過去の話。今ではプロレスを観戦に行くことなどなくなってしまったし、かつて大好きだった昭和のレスラーが今なおマスコミに露出している姿を目にしても「老醜をさらさないでくれよ」などと思ってしまうくらいに、熱が冷めてしまっている。
もともと『エル・カオス』の『エル』はメキシコなどのラテン語圏では『The』に相当する冠詞で、ルチャ・リブレなどの覆面レスラーが好んでリングネームなどに組み込んでいたりするものなのだけど、そういう元ネタなどについて熱く語りたい気持ちが失われてしまっている以上、もうこのHNに固執することもないかな、という気持ちになってしまったというわけ。

……んで。

その次の、須岡絵梨子についてだが。

これは自分が尊崇する伝説の編集者にして、SM文化の草分け的雑誌である 『 奇譚クラブ 』 の立役者、須磨利之氏の名にあやかったもの。
氏が喜多玲子という女性の名前で、多くのエロ挿絵を描いていた逸話にならったものでもある。実のところ、エル・カオス以上に気に入っていたHNだったりするのだ、これが。
ところが、これまた実際に使ってみると、かなり使い勝手が悪い。
まず商業関係に売り込む際、自分が性別を偽って誰かを騙すことを楽しむような輩ではないこと、すなわち「ネカマ」などではない事を説明するために須磨利之の逸話から紹介しなくちゃいけない。
……つーか、そもそも須磨利之の名を知っている人自体が、完全に少数派。どうしたって、相手に色々と誤解されてしまう事が多いHNなのだ。
加えて、これまた誰かとやりとりする時に相手に気遣わせてしまうHNだったりする。女性の名前、女性のアイコンを使用している以上、どぎつい下ネタなどを会話の中に組み込みにくいというか。
リアルタイムで色々と意見を交換することも多々あるネットのコミュニケーションでは、たとえネタであるとわかっていても、性別を偽る行為を間に挟んでしまうと、所々で 『 引っかかる 』 とか 『 つまづく 』 とか、そんな類のやりにくさを感じてしまうハメになる。これまた、面倒くさいことこの上ない。

……と、いうわけで。

試行錯誤の末、歌舞伎の黒子をイメージした自画像を描き起こした上で 『 絵ろ屋 かおす 』という新しいHNに切り替えることにした次第。

まぁ、黒子で顔や体型が隠れているから、年齢はもとより性別もわからないキャラクターにすることができたし。
であれば、今後はBLや少年エロス、ロリやリョナなど、いい年こいたオッサンが描くにはちょっと抵抗がある題材にも心おきなく挑戦できるわけで。(笑)

うん。

紆余曲折はあったけれど、最終的にいい形になったんじゃないかな。

ただ、このままではやっぱり徒労感が残って口惜しいから、ひとつ改名のメリットについても言及しておこう。

改名のメリット、それは以前の名前で発表していた作風や芸風、あるいは口にした公約までもを 「 無かったこと 」 にできちゃうこと。「アレは○○の名前でやったことだから。今の私は、■■であるので、あの件はもうチャラ。なかったことにしてちょーだい」とかなんとか、かなり恥知らずなことができちゃったりする。

本当は良くないことなんだろうけど、しかし自分の作風や芸風を変えたいと切実に願うならば、そういうのもアリなんじゃないかしらん。

実際、かの葛飾北斎は生涯に何度も号を変えているし。

北斎の作品として有名な海女と蛸の春画だって、実のところ、葛飾北斎の名前で発表されたものじゃない。今でいうところの裏アカ、北斎先生はエロ創作用のペンネームを持っていて、そっちの名義で発表したものなのだ。

そんなこんなで。
かの葛飾北斎も生涯に何度も名前を変えていることだし。

俺が1ヶ月で2回もHNを変えたところで、それは偉大なる先人の例にならってのこと。決して、決して俺が考え足らずのドジ野郎であるから、ではない。

……ないのだ!!(泣&笑)