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「では、歴史教科としての内容はここまでとします」
女教官がそう告げると、生徒達の間で言葉にならないざわめきが起こった。すぐさま生徒から手が挙がる。女教官がその生徒を指名すると、彼女は困った顔で起立した。
「あの、鳳条教官……教科書はまだ残っていますけど……特務機関の設立や私設機関の認定、ヒーローライセンスの制定と廃止なども……」
「よく勉強しているようね。もっともな質問です、座りなさい」
女教官は生徒を着席させると、教壇から教室をグルリと見回して答えた。
「教科書にもあった通り、近代はヒーローと秘密結社連合の戦いの歴史と言えます。未来を切り拓く使命を担う女性のヒーロー、すなわちヒロインには近代史に関して更なる知見が求められます」
緊張で硬くなる生徒達を前に、女教官はさらなる説明を続ける。
「装備の歴史、ドーピングの歴史、生物兵器の歴史……戦いの中で起こった、いえ、今まさに起こっている技術躍進の歴史を学び、ヒロインとしての資質を養わなければならないのです。よって、近代史はさらに深く掘り下げた内容を、特殊教科の単元として改めて取り扱うものとします。よろしいですね」
そこまで述べて、女教官はクラス名簿を挟んでいるバインダーを閉じた。それは、本時で扱う内容をすべて終了したということを意味していた。
「各々復習に励みなさい。何か質問はありますか?」
まだ講義の時間は5分ほど残っている。女教官の問いかけに対して、生徒達からまばらに手が挙がった。教官が一人の女生徒を指名すると、彼女は嬉しそうに微笑んで勢いよく立ち上がった。
「鳳条教官は、JJに会ったことはあるのですか?」
質問を受けた瞬間、鳳条教官の目が丸くなる。彼女は例えば期末考査の内容だとか、講義内で生じた疑問だとか、先ほど説明した、より深い近代史の内容だとかの質問が来るものと思っていたものだから、予想外の質問内容に言葉に面食らってしまったのだ。
「それは、この講義に必要な質問かしら?」
「そ、それは……その……。で、ですが、JJ には関係する質問です。実際に会った印象とか、そういうものを知りたかったものですから。もちろん、JJの写真や映像は何度も見たことがあるのですが……」
「残念ながら、会ったことはありません。それはそうでしょう?JJが活躍していたのは30年も前の話なのですから」
「では、キャプテン・ロウは?ルー・ルーは?執行者ゼロは? 他には……。そう、エルブランやエルノアールはどうですか?」
「エル……? はぁ……。ちょっと待ちなさい」
語調に熱を帯びる生徒の質問に、女教官は大きくため息をついて見せる。
「見境のない。思いついた名前をとりあえず挙げるのはよしなさい。ヒーローの代名詞であるJJやロウを挙げるのはまだわかります。ですが……」
手にしたバインダーで顔の半分を隠すようにして、女教官は軽く天を仰いだ。
そして困惑と苛立ちを込めた口調で、生徒をたしなめる。
「政府機関に所属する一介の特務戦士である、エルブランやエルノアールなど」
しかし、この女教官の冷たい反応に対しても、質問した少女はめげなかった。
「でも、エルブランやエルノアールは、近代を代表するスーパーヒロインですよ。教科書に写真付きで載っていてもおかしくないと思います」
教官の言葉に反駁する生徒の口調に熱が帯びる。
「エルブランやエルノアールは、私達の世代にとって憧れの存在なんです!!」
思春期の少女特有の純情は、ひとたび火がつけば容易におさまることはない。
「小さいころ……テレビに映る彼女達の勇姿に、ここにいる私達の全てが憧れたんです! 政府が管轄する特務戦士の中でも抜きん出た存在だった、あの2人の女性部隊長に! 特務のエース、 『白の翼』エルブラン!
『黒の翼』 エルノアール! 彼女たちが活躍するニュースを見て、私達は女の人でも皆を守れる存在になれるんだって、学んだんです!!」
熱情に瞳を潤わせながら、少女はまくしたてる。
「あの人達こそは、特務部隊の双璧ならぬ双翼でした! 白く輝く独自の装甲スーツに身を包んだ『白の翼』エルブラン! そして、その彼女をサポートするのは、『黒の翼』エルノアール! 特別仕様の槍を駆使する『白の翼』エルブランは、まるで騎士のように凛々しくて! 縦横無尽に戦場を駆ける『黒の翼』エルノアールの拳銃さばきは、もはや魔術師のようでした!!」
しかし。
熱弁を振るう少女に対して、女教官は冷水を浴びせるように叱咤する。
「考えを改めなさい。あの2人に対しては、明らかに過大評価です」
女教官は生徒の言葉を遮って、自身の見解を述べた。
「ヒーローの評価は、その強さや実績だけで決められるものではありません。例えば今、教科書に出てきた伝説的英雄JJ だって、現代の技術や戦術論に照らし合わせて検証し、なお規格外かと問われれば必ずしもそうではありません。彼が活躍したのは30年も前であり、技術は日々進歩しているのですから」
女教官の評価に、戸惑いの表情を見せる生徒達。
そんな教え子の様子を見回しつつ、女教官は言葉を続ける。
「でも、だからといってJJをもはや英雄ではないと言う者はいませんよね。彼が今なお人々の心に希望を与えていることは確かなのですから。それに対し、エルブランやエルノアールは近年に活躍した一介の女性部隊長に過ぎません」
そして、断定的な口調で結論づけた。
「絶望の中に希望の光を灯した伝説の英雄 JJ 。その彼の後に続く形で、一時的に活躍した2人の女性部隊長。前者と後者は、とても並列に語るものではないのです」
「でも、テレビで見たエルノアールもエルブランもすごくかっこよくて……」
「……『かっこよい』 など、まったくもって幼児が使うような稚拙な認識です。平和活動に貴賤はないですが、しかし功績を客観的に判断する能力は持って欲しいものですね」
冷厳な女教官の言葉に、質問した少女は恥じ入るようにうなだれてしまう。
先ほどまでの熱情は、どこへやら。
今は、泣き出しそうな表情で立ったままうなだれる少女に対し、助け船を出すように近くの席に座っていた別の生徒が口を挟む。
「あっ、ええと……。そ、そういえば…さ…」
ややボイーッシュな印象の少女が、空々しい様子で言葉を続ける。
「エルノアールもエルブランも、最近テレビや新聞で見ないなぁ」
「許可なき発言は、減点対象です」
女教官は、講義中であるにも関わらず挙手をせずに発言した生徒を諫めた。
「あなたを指名したつもりはありませんよ」
冷然とした声音の女教官の言葉に、『しまった』という顔をして口を紡ぐ生徒。
そのビクリとしたリアクションがいささか滑稽だったためか、教室全体に小さな笑いのさざ波が広がる。
やや弛緩しつつある空気の中で、女教官は『静粛に』と言いたげな表情で、教壇をコツコツと指で叩いて鳴らしてみせる。
再び静まりかえる教室の中で、彼女は嘆息しつつ補足した。
「活躍しなければ報道されることもないのは当然です。輝かしい面しか、国民には伝わらないのですから」
女教官は起立している生徒に視線を戻し、諭すような口調で説いた。
「先ほどの、あなたの発言。あれは宝石とガラス玉を混同しているようなものです。まずは目指すべきヒロイン像をしっかり見定める判断力をつけていくところから始めなさい。……もういいです、座ってよろしい」
少女がまだ何か言いたげにしながらも座ると、また、他の生徒達からパラパラと手が挙がる。
その中には、先ほど許可なく発言したボーイッシュな少女もいた。
女教官がその生徒を指名すると、彼女は嬉しそうに立ち上がった。
「鳳条教官も、昔はヒロインをやっていたのですか?」
「ええ? は……はぁ……??……わ、わたし??」
予想外からの質問に、思わずガクリと肩を落とすようにして、たじろぐ女教官。
「……はぁああ〜〜〜」
女教官は盛大に溜息をついた。
“ 空気を引き締めたつもりだったのだけど、私もまだまだね ”
そんな心の声が聞こえてきそうな教師の姿に、生徒達が控えめにクスクスと笑う。
「貴女達……ねぇ……」
女教官はやや呆れながら、新たな質問の主である生徒を見た。
「またそういう類の質問ですか」
しかし、少女は興味津々な様子で、物怖じせずに飛び込んでくる。
「はい! わりとそういう類の……教科書に載っていない事に関する質問です!!」
予想外の方向からの切り口に、戸惑う女教官。
とはいえ。
教育者として、『教科書に載っていない事も知りたい』 という生徒の要望は、むげにするわけにもいかない。渋々ながらも『質問を続けなさい』と先を促す。
少女は、嬉しそうに無邪気な口調で質問を続ける。
「ダブルダイスの募集要項には、『教官達はみな実戦を経験した凄腕の戦士である』と謳われていました。ならば、鳳条教官もまたかつては怪人達を相手に戦ったヒーローであったということですよね?」
ここでいったん言葉をきりつつ、ボーイッシュな少女は茶目っ気たっぷりに笑って言った。
「でも、私、どうしても想像できないんです。鳳条教官が派手なコスチュームとかマスクを付けて、カッコいいポージングを決めつつ、怪人達を相手に『正義執行』うんぬんの口上を述べている姿が……」
その瞬間、教室全体がドッと笑いの渦に巻き込まれた。
「うわぁあああ!! 『正義執行』!? ナイ、それはナイって!!」
「それ執行者ゼロの決めセリフじゃん!?」
「アレはナイ! いい年こいた大人が大真面目に『正義執行』とか言ってる姿、マジ頭おかしいよね!?」
「悪の怪人をやっつけるヒーローじゃなかったら、アレはホントに危険人物でしかないもん!!」
年頃の少女達による、好奇心の喧噪。
「あ、でもでも! 鳳条教官なら……わりとイケるかも!? 『正義執行』!」
「まさか、鳳条教官が執行者ゼロの中の人!!??」
「いや、それはない! 執行者ゼロが教師になれるわけないって!」
「うん、無理! 正義よりも狂気を感じるもん! ゼロからは!!」
もはや収拾がつかない有様となった教室の中で、女教官もまた肩の力が抜けた形で、笑いを噛み殺していた。
『全ての悪の怪人を灰燼に帰す、その日まで! 正義執行!!』
執行者ゼロの決め台詞。
あんな恥ずかしい口上を大真面目に口にする自分の姿は、さすがに考えたくもない。
不覚にも冷厳をもって知られる女教官は、湧き上がってくる笑いの衝動を抑えるべく全身の筋肉を総動員しなくてはいけなかった。
事ここにいたっては、もはや生徒達の悪ノリが混じった大騒ぎは、容易に収まるものではない。
「んじゃ、ゼロじゃなければ……ルー・ルーとか!?」
「うわ、出た! 『愛と正義のロリ戦士』 、来た!! ヤバイ!!!」
「やめて! 『地球に変わって神罰よ』 とか! まじやめて!!」
『愛と正義のロリ戦士』を名乗る、正体不明の不審者にして痴女。
……でありながら、怪人の単独撃破数は他の追随を許さない謎のヒロイン。
『美少女仮面』 ルー・ルー。
そのツッコミどころ満載の存在の正体が、自分であったのではないか。そんな疑惑まで持ち上がったとき、ようやく女教官 鳳条さやかは平静を取り戻すことができた。
( よ、よりによって……ルー・ルーだなんて )
いくらなんでも、それは勘弁して欲しいというもの。
“ もうそろそろ。このあたりで。場を収めなくては ”
そんな決意を静かに秘めて、女教官は大騒ぎする生徒達のひとつひとつの声に耳を懲らす。
「衝撃の事実! 美少女仮面 ルー・ルー! あの仮面の下は、若き日の鳳条教官っ!」
「うわー、想像できなーい」
「はいはい、想像できなくてよろしい」
麗しい女教官は眉間に皺を刻んで苦笑しつつ、機を見計らって生徒達の討論に介入した。
「皆さん、静粛に。先ほどの質問に対する答えですが……。」
タイミングを選んでの回答は、下手な一喝よりもはるかに効果的だった。一瞬にして教室が静まりかえる。
「かの執行者ゼロや美少女仮面ルー・ルーの正体が私であったかどうかについて、も含めた回答ですけれど」
好奇心に充ち満ちた興味津々の瞳に囲まれながら、女教官は落ち着き払った様子で答えた。
「ヒーローとしての現役時代の、私の活動内容については答えかねます」
ええ、でもぉ、などと、再びざわめきたちそうになる生徒達の機先を制するように女教官は先手を打つ。
「皆さん、入学して一番初めに受けたヒーロー心得で教わったでしょう? ヒーローは決して、自分の正体を他人に覚られてはならない。大切な人や、自分の日常を守るために絶対に正体を知られてはならないのです」
教壇に立つ女教官は、胸の内で未だ少女気分の抜けない生徒達の成長を憂う。
(まったくもう……まだ中学生の年齢とはいえ。これでは先が思いやられるわ。信頼に足る一人前の戦士への道のりは遠いわね)
そして再び、日頃の冷然とした普段の立ち振る舞いを取り戻しつつ、女教官は生徒達を見回すようにして言った。
「……ですが、みなさん。私はヒーローとしての執行者ゼロを心から尊敬しています。そのことだけは、確かです」
ニコリと。
氷のような微笑を浮かべつつ。
「つまりは、私の授業の秩序を乱す者達へは、かの執行者ゼロばりの果断苛烈な措置も辞さない覚悟があるということ。……ですので、授業中に教官の許しもなく勝手な発言を繰り返したり、大騒ぎするような不良生徒達に対しては……」
女教官 鳳条さやかは、極めて真面目な口調で言葉を続けた。
「評価点のすべてをゼロに帰してしまうことだってあるうる……かも」
教室は、一瞬にして死の世界のような静寂に包まれた。
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【 授業パート / 了 】
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