【 ジョーカーズファイル / 特務戦士エルノアールの散華 】


日本の近代史は特に、「秘密結社連合」の登場以前と、それ以降に分けることができる。
西暦2116年5月10日、突如現れた武装集団により埼玉県桜ヶ崎市の人口密集地が武力によって占拠され、1か月に渡って不当な支配を受けた。後に「桜ヶ崎事件」と呼ばれるこの歴史的事件の実行グループは「クリミナル・カンパニー」と名乗り、独自の技術力と組織力で半径10キロに及ぶ国土を実行支配した。多くの犠牲を払い桜ヶ崎市の法治を回復することはできたものの、本当の苦難はそのあとにやってきた。桜ヶ崎事件以降、日本は事件と同程度、あるいはそれ以上の暴力に、同時多発的に曝されることとなったのだ。事件の実行犯達は所属こそ様々であるが、一様に「秘密結社連合」を名乗った。また、彼等の扱う技術には確かに、連合を名乗るに値する共通した傾向を認めることができた。彼らの恐るべきバイオテクノロジーによって生み出された人造生物や改造人間は、虫や獣を象った醜悪な外見から「怪人」や「怪物」と呼ばれ、我が国の平和を蹂躙し、破壊の限りを尽くした。当時我が国の有していた軍事力は、秘密結社連合の生物兵器に対して十分な効果を発揮することができなかった。魑魅魍魎が太陽の下を跋扈し、人々は絶望に打ちひしがれた。
我が国の陥った危機的状況に光明が差したのは西暦2116年7月21日のことである。連合による実行支配を受けていた都内の大型雑貨店に「彼」は旋風のように現れ、店を不当に占拠していた怪人1体を含む構成員10余名を次々となぎ倒したのである。黒いフルフェイスにサンライトイエローのマフラーを靡かせた彼はその後も窮地に現れては、秘密結社連合の脅威を次々と排除していった。人呼んで「ジャスティス・ジョー」(現在ではJJという表記も広く普及している)。その素性は未だ謎とされているが、彼の英雄的振る舞いは国民に勇気と希望を与え、その登場を契機として日本は秘密結社連合を殲滅すべき世界共通の敵と断定し、徹底抗戦へと舵を切ることとなった。

「……それ以降、我が国では秘密結社連合に対抗する多くの専門機関が公私に設立され、特別な訓練を受けた英雄女傑が今日に至るまで様々な形で平和維持活動に従事している。ジャスティス・ジョーがテレビ画面に現れた瞬間から、日本は「ヒーローのいる国」となった」

席で起立している女生徒が教科書を朗々と読み終えると、教室は心地よい緊張感を伴う静寂に包まれた。
講義を受けている生徒は20名ほどで、女子ばかり。
詰め襟のない軍服を模した紺の制服にスカート、白いブラウス、赤い紐型のリボンを一様にしっかりと結んでいて、みんな品行方正な生徒像そのものだ。
指定されたくだりを読み終えた女生徒は、教科書の文章を追っていた視線を探るように前へと移す。
教室の前ではスカート型のタイトスーツに身を包んだ美女が、クラス名簿を片手に彼女のことを鋭い眼で見つめていた。
「よろしい。座りなさい」
スーツの美女は起立している生徒に凛と響く声音で指示し、名簿にチェックを付ける。
「はい、教官」
生徒は安堵の息をつき、静かに着席した。
女教官は生徒達から畏怖の念を抱かれるような、厳格な雰囲気を纏った淑女だった。
20代後半と思しき成熟した美貌には彼女の内に宿る知性と貞淑を窺うことができる。
また、170センチメートル後半の長身に、タイトスカートと紺のストッキングを一切の乱れなく着こなす姿は研ぎ澄まされた刀のようであり、銀縁眼鏡の奥に覗く切れ長の眼には鋭く理知的な光が宿っている。
さらに彼女は教官としての厳格さと共に、円熟した女性としての艶麗さをも兼ね揃えていた。
長い黒髪を後ろで団子に結っている襟元には白い首筋が覗き、唇に引かれたルージュの光沢が艶やかに大人の色香を放っている。
もしここに男子生徒がいたとすれば、彼女の容貌やスタイルといった女性としての魅惑はもちろんのこと、その教師然とした近寄りがたい冷厳な態度までもが男の青い春情を駆り立てるスパイスとなっていたであろうことは想像に難くない。
しかし、ここ……高等学校教育機関を兼ねた特務法人「ダブルダイス」は秘密結社連合の怪人を打ち倒すヒロインの育成を目的としているため、男子生徒がこの流麗な女教官の艶美に思いを掻き乱されながら学業に勤しむという呪わしい事態は起こらないのだった。
「歴史教科としての内容はここまでとします」
女教官がそう告げると、生徒達の間で言葉にならないざわめきが起こった。
まだ、近代史は導入に触れたばかりなのだ。扱っていない教科書の内容が十数ページも残っている。生徒達が互いに顔を見合わせていると、女教官は名簿のバインダーを掌に当ててトンと音を立てた。再び静寂を取り戻す教室。女教官は生徒達の顔をぐるりと見まわしてから続けた。
「教科書にもあった通り、近代はヒーローと秘密結社連合の戦いの歴史と言えます。秘密結社連合を殲滅し未来を切り拓く使命を担う君達は、こと近代史に関しては高校卒業以上の知見が求められます。工学、薬学、生物工学……装備の歴史、ドーピングの歴史、生物兵器の歴史……戦いの中で起こった、いえ、今まさに起こっている技術躍進の歴史を学ぶことで、あなたたちはヒロインとしての資質を養わなければならないのです。よって、近代史はさらに深く掘り下げた内容を、特殊教科の単元として改めて取り扱うものとします」
女教官はそう宣言し、クラス名簿を挟んでいるバインダーを閉じた。それは、本時で扱う内容をすべて終了したということを意味していた。
「各々復習に励みなさい。何か質問はありますか?」
まだ講義の時間は5分ほど残っている。女教官の問いかけに対して、生徒達からまばらに手が挙がった。教官が一人の女生徒を指名すると、彼女は嬉しそうに微笑んで勢いよく立ち上がった。
「鳳条教官は、実際にJJにお会いしたことはあるのですか?」
質問された瞬間、鳳条と呼ばれた教官の目が丸くなる。鳳条は、例えば期末考査の内容だとか、講義内で生じた疑問だとか、先ほどのより深い近代史の内容だとかの質問が来るとばかり思っていたものだから、予想外の質問に言葉に窮してしまったのだ。
「それは講義に必要な質問かしら?」
「あの……その、実際に会った印象とか、そういうものを知りたかったものですから。もちろん、JJの写真や映像は何度も見たことがあるのですが……」
「残念ながら、会ったことはありません。それはそうでしょう?JJが活躍していたのは30年も前の話なのですから」
「では、キャプテン・ロウは?ルー・ルーは?執行者ゼロは?エルブランやエルノアールはどうですか?」
「待ちなさい」
熱を帯びた生徒の質問に対して、女教官は大きくため息をついて見せる。
「見境のない。思いついた名前をとりあえず挙げるのはよしなさい。ヒーローの代名詞であるJJやロウを挙げるのはまだわかります。ですがエルノアールなどと」
「そういえば……」
座っていた別の生徒が口を挟む。
「エルノアールもエルブランも、最近見ないなぁ」
「減点。あなたを指名したつもりはありません」
講義中であるにも関わらず挙手をせずに発言した生徒を女教官は諫めた。「しまった」という顔をして口を紡ぐ生徒。女教官は嘆息して補足した。
「活躍しなければ報道されることもないのは当然です。都合の良いことや輝かしい面しか、国民には伝わらないのですよ」
女教官は起立している生徒に視線を戻し冷然とした声音で説いた。
「あなたの発言は宝石と石を比べるようなものです。目指すべきヒロイン像をしっかり見定める判断力もつけていきなさい。もういいです、座りなさい」
「でも、エルノアールは……」
「聞こえませんでしたか?座りなさい」
少女がまだ何か言いたげにしながら座ると、また、生徒からパラパラと挙手がある。鳳条教官が別の生徒を指名すると、彼女もまた嬉しそうに立ち上がった。
「教官もやっぱり、昔はヒロインをやっていたのですか?」
「貴女達ねえ……」
空気を引き締めたつもりだったのだけど、私もまだまだね。鳳条教官は目元にやや疲れを覗かせながらその生徒を見た。
「またそういう類の質問ですか」
「だって、ダブルダイスの募集要項には教官はみな実戦を経験した凄腕の戦士だと謳われていましたけど。鳳条教官が派手なコスチュームとかマスクを付けて口上を述べている姿なんて想像できなくて……」
「はいはい、想像できなくてよろしい」
麗しい女教官は眉間に皺を刻んで苦笑し、返答した。
「その質問には答えかねます。入学して一番初めに受けたヒーロー心得で教わったでしょう?ヒーローは決して、自分の正体を他人に覚られてはならない。大切な人や、自分の日常を守りたければね」
女教官は、未だ少女気分の抜けない生徒達を憂う。
(まったくもう……まだまだ、戦士と呼ぶには程遠いわ)
そうこうしているうちに、良い時間だ。
教卓に乗せている資料を抱え、講義を終える仕草をすると、生徒達はここぞとばかりに元気になり、姿勢を正して指示を待った。
「では、日直……」
女教官が講義の終了を告げようとした瞬間、彼女の切れ長の目が、視界の端にあってはならない異変を捉えた。
教室の窓の外、小高い丘にある校舎から遠くに見下ろす街並みに光が走った。
女教官の彫刻のような美貌に張り付いた緊張を察知して、生徒達も視線に促されるように窓の外を見る。しかし、女教官はすでに、それから寸分先に起こる危機を直感していた。
「伏せなさい!」
鳳条教官が命じた瞬間、窓の向こうに見える街でまばゆい閃光が輝き、暗色のキノコ雲が上がった。
「あっ……」
事態の重大さを認識しきれていない生徒の一人が間の抜けた声をあげる。
これは対岸の火事ではない。振動が空気より速く地面を伝わってきて、カタカタと建物が小刻みに揺れたかと思うと、爆心地から波紋状に広がってくる衝撃波が一瞬にしてダブルダイスの校舎を飲み込んだ。
しかし、爆風が校舎に被害をもたらすことはない。
敷地を覆うように半球の光が出現して学び舎を包み込み、爆風の衝撃をシャットアウトしたのだ。
ヒロインの養成施設であるダブルダイスが、外敵からの攻撃に対して備えていた防衛システムが発動したのである。
生徒たちは初めて目の当たりにしたバリアの光を大きな瞳に焼き付ける。しかし、強力なエネルギーバリアが覆うのは地表より上だけであり、効果の及ばない地面は大きく揺れ、学び舎はミシミシと大きく軋んだ。
「きゃああああああああああああっ!!!?」
生徒達は低く伏せたまま叫び声をあげ、生に固執するように机を力強く握りしめる。
校舎内に緊急事態を告げるサイレンが鳴り響き、爆風から校舎を守るバリアが稲光を放ちながら激しく明滅した。
「エマージェンシー!エマージェンシー!これは訓練ではありません。揺れが収まり次第、敷地内にいる者は安全を確保の上、すみやかにシェルターへと避難してください。繰り返します、揺れが収まり次第、安全を確保の上、シェルターに避難してください。エマージェンシー・コードU、繰り返します、エマージェンシー・コードU……」
放送で校舎内にいる者に避難指示が出される。
しかし、バリアが衝撃波を相殺する光が校舎をチカチカと照らし、地面が爆発の振動で揺れているという状況で立ち上がる生徒はいない。教室で立っているのは鳳条教官のみ。銀縁眼鏡の奥にあるオニキスの瞳に静かな光を宿しながら、彼女はキノコ雲の上がる街を見つめていた。
そこへ、まだ建物が揺れている状況であるにも関わらず、カツカツと足早に廊下を走る音が近づいてきた。その足音の主は教室に飛び込んでくると肩で息を切らせながら教官のことを見た。
彼女は25歳くらい。ダブルダイス支給の地味なジャージを着ていて見目麗しいとは言わないまでも、黒髪を編んだ素朴で清潔感のある女性だった。
「鳳条教官、コードUです!ここは私に任せて教官は戻ってください!」
「イツキさん……すみません、よろしくお願いします」
女教官は心得たように彼女に頷いて見せる。入ってきたのはスタッフのイツキ。ヒロイン適性が不十分であったために教鞭こそ振るうことはないものの、ダブルダイスの運営に多面的に携わることで平和活動に従事する協力者の一人である。
教室で緊張に怯える生徒達をイツキに預け、鳳条教官は教室を出ようとする。
子供たちは「コードU」がなんであるかを知らない。
だが、厳格な女教官に何か常ならざることが起ころうとしていることを察知して、教え子たちは彼女の背中を見つめた。
「教官……どこへ行くんですか?」
「皆さんはイツキさんの指示に従って避難してください」
子供達に背を向け、女教官はカツカツと靴音を立てながら教室を離れていく。
彼女はこれから戦場に向かうのだ。
「エマージェンシー・コードU」……それはつまり、外部からの襲撃に備え、迎撃可能な職員は警戒体制に移行せよとの指令なのであった。


ダブルダイスは校舎を中心として地方都市の郊外半径数キロを私有地としており、立ち入りを厳しく制限し、光のバリアで侵入者を容赦なくシャットアウトする陸の孤島だった。校舎から1キロメートルほどの場所に、外部からの過度な攻撃によるバリアの歪みができたのが都市部襲撃から15分後のこと。
私有地を囲う森林に張り巡らされた探査装置により観測された敵影は100程度。うち、改造を施された怪人が数体。
歪ができたといっても、割れ目はほんの数メートルであり、ダブルダイスのスタッフは外敵が入ってきた瞬間を狙って叩き、どんどん侵略者の数を減らしていった。
最前線を退いたとはいえ、彼らは一流のエージェントである。彼らは波のように押し寄せる秘密結社の構成員達を倒し続けていた。
しかし。
そこに、鳳条教官の姿はどこを探してもなかった。

「いやあああああああああっ!!お願い、やめてええええええええええええっ!!」
もぬけの殻となった校舎に少女の悲鳴が木霊した。
教室棟からドーム型シェルターの入口までは、30メートルほどの屋根付きの渡り廊下で繋がっている。
しかし、その走れば数秒の石畳は今や決して目的地に到達できぬ地獄と化してしまっていた。
渡り廊下にある人影は10名ほど。生徒達を迎え入れるはずのシェルターの入口は固く閉ざされ、中に入れなかった生徒達が呆然と立ち尽くしている。
もっとも、彼女達がその場に留まっているのは入口が開くのを待っているからではない。彼女達は廊下中に張り巡らされた白い糸で体を絡めとられてしまっていた。
糸は細いながら強い粘性と弾力性をもっており、囚われた者が自力でそこから脱するのは絶望的だ。
少女達を白い網にかけた犯人は、渡り廊下のすぐ横にある中庭にいた。
そいつが人間の範疇を逸脱した存在であることは一目でわかる。
2メートルを超える巨躯に刻まれたグロテスクな筋肉。背中からは人間にあるはずのない、甲殻に覆われた細い4本の腕が生えている。
口が頬を横断するほど大きく裂けていて、そこから長い牙が生えている様は鬼の形相そのものである。左右のこめかみ付近には4つの複眼があり、そいつが人間と蜘蛛の要素を備えた怪人であることを物語っている。
衣類は纏っていない。一見すると膝丈のズボンと思われる部位は黒い剛毛の集まりであり、皮膚もまた、人間のそれではない。女子を対象としている学び舎においてあまりにも冒涜的な雄の出で立ち。皮膚と甲殻の中間のようなある程度の弾性と硬度を併せ持った全く別のおぞましい生成物であり、その体表の至る所からから生えているのは太く禍々しい毒針だった。
蜘蛛の化け物は熊のような腕で若い女性の首を掴み、片手で高々と持ち上げていた。
怪人によるネックハンギングツリーの脅威に晒されているのは、鳳条教官に代わって生徒達の誘導を請け負った、スタッフのイツキだった。彼女は鳳条教官から預かった生徒達をシェルターに避難させると自分は外に戻って誘導を担っていた。そこで、彼女は怪人の悪意に晒されることとなってしまったのだった。
「あがっ……かっ……はっ……」
全体重を喉に咥え込んだ掌で支えられ、イツキは唇を半開きにして苦悶の表情を浮かべている。
筋肉隆々の巨人に対して、吊り上げられたイツキの体はあまりに小さい。
運動性重視の室内スニーカーが宙を漕ぎ、左手が自分の首に食らいついた怪人の腕に爪を立てて引きはがそうとしている。そして右手には、彼女の抵抗の証とでもいうべき護身用の拳銃がトリガーに指をかけたまま固く握り締められていた。
「きひひっ……なかなか粘るじゃねぇか」
蜘蛛の化け物はイツキが辛うじて意識を繋ぎとめているのを見て下衆な笑みを浮かべる。細い首を握る力を調節して、彼女が気絶するかどうかの瀬戸際を見極め、その苦痛に歪む表情を楽しんでいるのだ。
「いやあっ!!やめてぇ!イツキ先生が死んじゃう!」
糸に囚われた生徒が泣き叫ぶも、それは化け物の嗜虐心を煽る結果しか招かないことに純真な少女は気づけない。化け物は裂けた唇をいやらしく吊り上げ、イツキを脅迫した。
「とっととシェルターのドアを開けさせな?内側にいる先公仲間によぉ……それとも何かぁ……?ガキ共を一人ずつ殺していった方が物分かりがよくなるかなぁ?」
「ひぃっ……」
蜘蛛の化け物が生徒達を流し見ると、彼女たちは慄いて引きつった声をあげてしまう。
子猫のように他愛もない、戦士になりきっていない少女の反応を見て、化け物は歪に笑った。
「さぁ、どうするよ?言う通りにすりゃ、最初に死ぬか最後に死ぬかくらいは選ばせてやるぜえ……」
「だ……れ……が……お前……なんか……に……」
イツキは精神力を振り絞り、虚ろになりかけていた瞳に闘志の炎を灯した。イツキは右手に握りしめた拳銃を化け物の眉間に向ける。
取るに足らないと思われたジャージ女の反抗に、化け物は好奇の笑みを浮かべた。
「おっ……?撃てるのか……?撃てるのか……?けひひひ……お前なんかが……?」
「ばかに……するな……」
カチリと安全装置を外し、呼吸器と頸動脈を圧迫される苦しみを精神で凌駕し、イツキは狙いを定める。震えていた右腕が、不意に、ピタリと止まった。

タァンッ!

一発の銃声が静寂の学び舎に響く。
イツキがゼロ距離で撃った銃弾は、確かに化け物の額のど真ん中に命中し、彼の首を大きく仰け反らせた。
硝煙の匂いが中庭に漂い、固唾を呑んで顛末を見守っていた生徒達は、化け物が大きくぐらついたことに胸を高鳴らせる。
上半身がふらつき、芝生を踏み締めていた右足が土踏まずを見せながら大きく浮き、巨体が背中から倒れこんでいく。
……やった。
生徒達の心に希望の光が差した瞬間、それはドス黒い邪悪に呑み込まれた。
いったん浮き上がった化け物の右足は、生徒達の目の前で、再び大地をしっかりと踏み締めたのだった。
「なぁんてなぁ……」
グインと上体を起こした化け物の眉間には、銃痕すら認められない。
化け物の皮は固い甲殻に覆われていて、例え脳天という急所にゼロ距離で銃弾をぶち込んだとしても、護身用の拳銃では傷一つ付けることもできなかった。
「……ちくしょう」
迂闊にも三文芝居に心を踊らされてしまった悔しさを噛みしめながら、イツキは純朴な貌で粗暴極まる言葉を吐く。
女の禍根に満ちた表情を堪能すると、化け物は彼女の首を掴む掌に力を込めた。
「あっ……かひゅっ……」
イツキの体がビクリと小さく痙攣し、彼女の握りしめていた拳銃が掌から滑り落ちた。苦しさに、今度は両手を使って化け物の腕を掴むが、ヒロインになることすら叶わなかった女の細腕で、改造人間の剛腕を引き剥がすことなどできるはずがない。
やがてイツキの両腕は脱力し、だらんと垂れた。白目を剥き唇から涎を垂らす姿は、生徒達に非業の結末を印象付けるには十分だった。
「いやだああっ!!こんなの、いやあああああっ!!」
少女の泣きじゃくる声が空に溶ける。
身体を小刻みに痙攣させているイツキのジャージの股が、じんわりと色濃く変色していく。
漂ってくるアンモニア臭を嗅ぎ付け、化け物は愉悦の笑みを浮かべた。
暴力による支配を目の当たりにして、少女達は無力感の渦に呑み込まれていった。

ガウンガウンガウン……!!

しかし、突如響き渡った銃声により、事態は急変する。
重々しい発砲音が敷地内に轟き、蔓延していた絶望の空気を吹き飛ばしていった。
すでに自失状態にあるイツキの体が糸の切れたパペット人形みたいに芝生に落ちて横たわる。
弾が命中した証として、イツキを弄んでいた化け物の前腕に2つ、二の腕に1つ、くっきりと穴が開いていて、そこから暗い紫の体液がピュピュっと不快な音を立てて噴出してきている。
化け物は施された改造手術によってすでに痛覚がないか、あっても甚だ鈍感にできているらしい。腕に大穴が開いているにも関わらず、化け物は痛みに悶える様子を見せない。
ただ「むう」と唸っただけで、自分の腕に開いた穴をまじまじと見つめていた。

「あんだぁ?」

化け物は狙撃手がいると思われる方に怒気を孕んだ視線を向ける。
その視線の先には両手に二丁拳銃を持った武装した戦士が、化け物に向けて悠然と銃を構えて立っていた。
それが女性であることはしなやかなプロポーションから一目でわかる。
ダイバーを思わせる密着型の戦闘スーツに鍛え上げられた肢体を包み込み、エメラルドグリーンのバイザーのついたヘルメットを被って完全武装。
身体で唯一露出している口元は不敵な笑みを湛え、彼女の自信のほどを示している。
胸元の騎士然としたプロテクター、肩や前腕、腹部を覆うプレートなどの装備は物々しく、あまりに武骨だが、それでもなお、体に密着したスーツは腰のくびれや発達した太腿の質感を浮かび上がらせ、女性としての官能を醸し出している。
「侵入ルートは下水路か……どうやら、光子フィールドに頼りすぎていたようね」
ルージュの引かれた厚い唇から凛とした声が発せられる。
その瞬間、囚われの身である生徒達の顔がぱっと華やいだ。
「この声は……」
「教官だ、あれは鳳条教官だよ……!」
ヘルメットで顔を隠しているとはいえ、候補があまりに少なすぎる状況。生徒達は立ちどころに彼女の正体を看破してしまう。
鳳条教官のスーツ姿しか知らない生徒達は、彼女が戦闘スーツを纏い、銃を巧みに操る今の姿のギャップに驚いた。
「あの恰好……あれは……政府特務機関のスーツ……!」
「いや、なんか……ちがうよ、テレビで観たことある……あれは……やだ、うそ……あれはエルノアールだ!特務のエース、エルノアール!!」
「……勤勉な教え子を持って、先生、うれしいわ」
不測の事態とはいえ、一瞬にして自分の戦士としての正体が生徒達にバレてしまい、鳳条教官ことエルノアールはため息をついた。
しかし、秘密の露見を嘆いている場合ではない。エルノアールが再び銃の引き金を引くと、化け物の足元の芝生が土ごと派手に飛び散り、化け物は大きく跳び退いて着弾地点から、そして、芝生に横たわるイツキから距離を取った。
自失状態にあるイツキから化け物を引き離すことに成功したエルノアールは、改めて化け物と対峙する。
化け物もまた、彼女のことを始末すべき獲物と認めたようだった。
「へえ、エルノアール……お前があの黒い翼か……」
「名前と所属、目的を答えなさい」
「げひぃ……俺はベノス……所属なんざぁ、どこだっていいだろう?目的は……」
怪人は大きな口を吊り上げると、糸に囚われている生徒達を舐めるように見た。
「わかっているだろう?ヒロインの卵どもを、今のうちに血祭りに上げに来たのよ」
怪人ベノスが挑発的に告げても、生徒達にはもう、先ほどまでの狼狽ぶりは見られない。彼女たちにとってのヒロインが、彼女たちの心を希望の光で照らし、安心を与えているのだ。希望の光を宿した瞳で見据えられ、化け物はつまらなそうに舌を鳴らした。
「あなたが侵入経路に用いた下水路はすでに封鎖しました。もはや逃げられません。速やかに投降しなさい。これは提案ではない。警告です」
「おぅ、おぅ、怖いねえ……嫌だと言ったらどうするんだい、ロートルヒロインさんよぉ!」
巨大な怪人はいきり立ち、エルノアールに猛スピードで飛び掛かった。この戦いには審判もいなければルールすらない。相手を打ち倒すという目的だけが存在する修羅の世界だ。
エルノアールもまた、ベノスの奇襲を奇襲とすら考えていない。
冷静に彼の動きを見定めると、丸太のような拳による打ち下ろしを間一髪のところで回避し、冷静に銃口を怪人に向けた。
完全にカウンターが決まるタイミング。しかし、彼女の視界が次に捉えたのは自分目掛けて向かってくる化け物の鋭い爪の先端だった。
「くっ……」
エルノアールはバネのように体をしならせてその攻撃を回避し、退きざまに両手に持つ銃で1発ずつ発砲した。しかし、それは化け物の胴体に届くことなく、彼の背から生えた細い腕によって2発とも弾き落とされてしまった。
ベノスはその巨躯に相応しい2本の剛腕の他に、さらに背中から4本もの腕を生やし、それらを自在に操ることができるのだ。
計6本もの腕から繰り出される絶え間ない波状攻撃に、接近戦の定石は全く通用しない。
大地を踏み締める脚と合わせて8本もの手足を操る姿はまさに大蜘蛛の怪人と呼ぶにふさわしい。
大きく跳び退いたエルノアールだったが、それでも、ベノスの間合いから逃れることはできない。
ベノスは蜘蛛の瞬発力でエルノアールを迫り彼女を腕の射程に捉えると、再び6本の腕で彼女に爪撃の嵐を浴びせかけた。
「ぎゃはははははは!!ガキを縊り殺すだけのつまんねえ任務だと思ったが、特務の黒い翼をヤれるとあっちゃあ気分も駄々上がりだぜえ!」
「くっ……ちぃ……」
エルノアールは拳銃に取り付けた刃でなんとか攻撃をいなしている状況だ。3倍もの物理的手数を誇るベノスに、エルノアールは防戦一方。銃口を向けるというワンアクションを取るほんのコンマ何秒かさえ、今の彼女にとっては致命的な隙となってしまうのだ。
体重の乗った斬撃の嵐を、体を軋ませながら捌くエルノアールに、ベノスは優位の笑みを浮かべた。
「げへへへへへえ……どこまで避けきれるかなあロートルの元ヒロインさんよぉ!!」
「馬鹿に……するな!」
一瞬、ベノスの視界からエルノアールの姿が消える。エルノアールは後退している状態からクイックターンを決めて懐に飛び込み、次の瞬間、ベノスの脇腹を拳銃につけた刃で深々と切りつけた。
対怪人用にオーダーされた鋭利な刃はベノスの甲殻をえぐり、ベノスの脇腹に引かれた紫の横線から体液が吹きだした。
「ぬう……?」
痛覚はないが感知はできるようだ。
「やってくれたなぁ!?」
ベノスが開いた傷口を視認し脇に力を込めると、傷は筋肉の圧力によって立ちどころに止血される。応急措置を終えたベノスが振り返ると、そこにはベノスの間合いの外でエルノアールが銃口を向け待ち構えていた。
「無駄だぁ!」
「それはどうかしら?」
巨体を躍動させて襲い掛かってくるベノスに対して、エルノアールは冷静にトリガーを引いた。
ガウンガウンガウンガウン!
間断なく撃ち込まれる4発の銃弾。
歴戦の勇士であるエルノアールの精神は、迫りくる化け物のプレッシャーを前にしてなお冷たく冴えわたる。
エルノアールは狙いを細い腕の1本に絞った。
左右の銃で2発ずつ、計4発の銃弾がベノスの細い腕の1本に杭を打つようにめり込んで、そのまま腕を引きちぎってしまった。
飛び散る肉片と紫の体液。根元から吹き飛ばされた化け物の腕が宙を舞った。
「ぐぬうぅ!!?」
腕を一本失ったとあっては、さすがの鈍感なベノスも表情を曇らせ、バランスを崩した。
エルノアールは胴体で押しつぶすように襲い掛かってくるベノスの太い腕を両手で掴み、勢いを生かしながらも、腕力でベノスの巨体を投げ飛ばしてしまう。
砂埃をあげながら地面に落ちる巨体を、エルノアールはバイザー越しに鋭い眼で見据えた。
「攻めあぐねるなら、障害を1つずつ取り除いていけばいいのよ。できることから、コツコツと……」
視線をベノスから離さないまま弾を慣れた手つきで補充する。何千、何万回と反復してきた動作。彼女ならば、例え完全な暗闇の中においてさえ、全くの淀みなく弾を装填することが可能だろう。
補充をものの数秒で完了すると、エルノアールは片膝を突くベノスに再び銃口を向けた。
ベノスは起き上がりながら、眼を憤怒にぎらつかせエルノアールを睨みつけた。
「この腕力……女の力じゃねえ……ただのロートルじゃねえぞ……何か仕掛けがありやがる……」
「あなたの腕もあと5本ね。やってやれないこともないでしょう。いえ……」
エルノアールは不意に言葉を切ると、銃口をベノスから外してしまう。ベノスを睨んだまま、エルノアールは右手に握る拳銃を自分の背後に向け発砲した。
ガウンッ!
鳴り響く銃声。エルノアールは顔色を変えることなく首を動かし、横目で背後に睨みを利かせる。
「毟らないといけない腕は、もう少し増えてしまうかしら……」
鋭く射抜いた視線。
彼女の背後にはベノスとは別の怪人が忍び寄ってきていて、牽制の銃弾を人間にあるまじき長さの爪で弾き飛ばしていた。
もう1体の怪人は不敵に微笑むと高々とジャンプし、ベノスの隣に降り立った。
新たに現れた怪人はベノスとは対照的だ。
屈強な大男のベノスに対して、新たな怪人は若い女性型。
生態系の理を逸脱した改造人間にとって性差がいかほどの意味を持つかは不明だが、ふくよかな胸や丸みを帯びた腰回り、なだらかな流線型のフォルム、さらに乳房や股下を覆う甲殻は高露出なボンデージを思わせ、他の大部分の皮膚は柔らかそうで女性としての魅惑的な造形を強く残している。
しかし、彼女にはベノスとの確かな共通点もみられる。
それは背中に生えた4本の腕だ。
首のあたりから結った髪のように長く垂れたそれは節足動物の脚そのものであり、先端はかぎ爪のように鋭利な曲線を描いている。
顔貌は妖艶で美しいがオペラマスクのように人工的であり、臀部に備わる袋のような人間には見られない部位や、白黒反転した眼が、彼女が確かに蜘蛛の怪人であることをまざまざと示していた。
「あたしの気配に気づくだなんて、やるじゃないのさ」
背後からの奇襲を看破された女怪人は、悔しがるどころか嗜虐的な笑みを浮かべて語り掛ける。エルノアールは肩を竦めて、
「相方さんの視線が不自然だったからね」
「あらま……」
女怪人はきょとんとした顔になりながら、ベノスの隆々とした肩をペシンと叩いた。
「あんた、何やってんのさ!」
「ったく、狡(こす)い真似をしやがる……」
ベノスは苦虫を?み潰したような顔になって立ち上がり、エルノアールを見据えた。
「油断するなよネーラ。こいつぁエルノアールらしいぜ……」
「へえ、エルノアール?こいつが?……あはは!!」
ネーラと呼ばれた女怪人はベノスを小馬鹿にしたように笑ったかと思うと、その目に激しい闘志を宿してベノスと共にエルノアールを好戦的に見据えた。
「なんであの黒い翼がこんな辺鄙な学校にいるのかしらぁ?でも、こりゃいいわぁ、あいつをヤればお手柄……いい土産話になるじゃないの」
「げひひぃ……それどころか、昇進だってあるぜ……エルブランを殺したっていうあのサソリ野郎は今じゃ幹部ででけえ面してやがるわけだしよぉ……」
「あはは!あんたやあたしが幹部様ぁ?……ふぅん……悪くない響きじゃない?」
顎に手を当てて首を傾げ、考える仕草をするネーラ。
怪人達のやりとりを聞いていた囚われの少女たちに動揺が広がる。
「うそ……エルブランが……殺された……?」
エルブランは少女たちが子供の頃活躍していた特務部隊のエースの一人であり、幾度となくニュースを賑わせていた女性兵士だ。幼少期の憧れの存在が殺されてしまっていると聞かされて、彼女たちは心を乱してしまったのだ。
しかし、ある意味、彼女達以上に、怪人の言葉に衝撃を受けた者がいた。
「エルブランを殺した奴が……まだ、生きている……?」
エルノアールが銃を構えたまま呟く。その声が、普段の講義で聞いているよりもずっと低く、咄嗟に出てしまったものだと生徒達は気づく。
「エルブランを殺したやつを、あなた達は知っているのね」
彼女の言葉に棘のような鋭さを感じ、2体の怪人はアイコンタクトで意思疎通すると意地悪く笑った。
「気になるのかい?そりゃあそうだよなぁ?エルブランはお前の同僚だ。いや、『元』同僚か。特務の2大エースと言えばちょっとした有名人だったもんなぁ?」
「んふふ……澄ました顔してたって、動揺しているのが見え見えよ?」
「何が見えるというの。何も、見えちゃいないわ」
2対1。
銃を2体の怪人に向けて構えるエルノアール。銃剣のように取り付けられている左の刃が刃こぼれしているのが目に留まる。ベノスの脇腹を裂いた時に、その甲殻の硬さにやられたらしい。
未知の怪人達は決して楽な相手ではない。
しかし、子供たちがいるのだ、形勢不利でも退却するわけにはいかない。
いや、今のエルノアールには、撤退などという考えは全く浮かんでこない。彼女は美しい能面のような顔の裏に、どす黒い炎を灯した。
「お前たちに、聞かなければならないことが増えたわ」
エルノアールは瞳を危険に光らせ、躊躇うことなく引き金を引いた。

ガウンガウンッ!

銃口から昇る硝煙がそのまま第二ラウンド開始の狼煙となる。
一発はベノスの右腕に弾かれ、もう一発はネーラの卓越した跳躍に回避される。
地面を重戦車のように突進してくるベノスと、宙を木の葉のように舞うネーラを同時に相手取るエルノアール。

ガウンガウンガウン!!

跳躍したネーラより地上を駆るベノスの方が速い。
エルノアールは向かってくるベノス目掛けて3発撃ち込む。
ベノスは剛腕を十字にしてそれを防ぐ。
「くははぁ、痒い痒い!」
ベノスは勢いをそのままに、豪快に笑って突進してきた。
不意打ちだった先ほどとは違って筋肉が鋼のように硬化しており、銃弾は食い込むだけで致命傷に至らない。
「くっ……」
エルノアールはベノスの間合いに入る瞬間、真横に跳んでそれを回避した。
勢い余ったベノスは軌道修正が間に合わず、盛大にオーバーランして校舎に体当たりして壁を歪ませた。
「次はこっちね……」
エルノアールは受け身を取って態勢を戻すと、今度は上方に銃を構える。
跳躍したネーラが空中で方向転換し、自分の方に向かってくるのが見えた。
しかし、空中にいるにも関わらず、急激に進行方向を変えるとは。
「……糸か!」
「んふっ。当たりぃ」
ネーラは嗜虐的な笑みを浮かべてエルノアールに迫る。
エルノアールは、中庭の2階から3階くらいの高さに、いつの間にか白い糸が張り巡らされていることに気づいた。ネーラの空中移動の仕掛けを看破した瞬間、ネーラは眼下のエルノアールに向けて手を翳した。
ピピュウウウウウウウウウウッ!!
ネーラの両腕から勢いよく飛び出たのは粘着性のある白い糸だ。
エルノアールは再び地面を転がりながらそれを回避しつつ、ネーラ目掛けて銃弾を放った。
「ふふっ……」
ネーラは微笑を浮かべながら脚を巧みに動かして宙を這い、弾を避ける。宙に網を張り制空権を得たネーラはエルノアールを見下ろし、白い糸の雨を降らせた。
「そうら、速く逃げないと捕まえてしまいますよ?速くお逃げなさいな!あはははは!いつまでそうやって逃げられるか見物ねえ!」
「くっ……言わせておけば!」
エルノアールは降り注ぐ白い糸をジグザグに回避しながらネーラを撃ち落とそうとする。しかし、彼女の撃つ弾は宙を駆けるネーラに悉く躱され、発砲音が虚しく響いた。
「ハッハァ!袋の鼠だぁ!」
ネーラの不規則な動きに手をこまねいているうちに、ベノスも戦線に復帰してくる。
ベノスもまた、ネーラと同じく蜘蛛怪人だ。彼はエルノアールが決して触れてはならない粘性の糸に当然のように脚を駆けると、弾力を利用し砲弾のように体を飛ばしてきた。
「ちっ……くっ……はぁ……!」
すんでのところで突進を回避しても、ベノスはネーラの張り巡らせた糸を利用してホッケーの弾のようにバウンドし再びエルノアールの方へと跳ね戻ってくる。頭上からはネーラの糸が、地面では肉弾と化したベノスが連携してエルノアールのことを攻め立てていく。劣勢に立たされ走らされるエルノアールは集中力も弾も体力も、ジワジワと削られていった。
ネチィ……
右脚が不意に動かなくなったことに驚いて、エルノアールは視線を落とした。
細心の注意を払っていたが、やはり消耗は隠せないようだ。ネーラの放射した白い糸が、エルノアールのブーツに絡みついて彼女のフットワークを阻害してしまっていた。
「くっ……しまった……」
「もらったぁ!!」
「きゃあああっ!!」
脚を囚われたままベノスの突進をもろに受け、叫び声を上げながら宙に突き飛ばされてしまうエルノアール。
銃剣の用途もある二丁拳銃を前に構えて突進の衝撃を緩和しようとしたが、それも効果を発揮することはなく、エルノアールは彼の重量をもろに受け、宙へと投げ出されてしまったのだ。
そんなエルノアールの両足首を、宙に陣取っているネーラがしっかりと掴んだ。
「は……放せ……」
「おほほほほほほほほほほほっ!!」
「うわあああああああああああああああっ!!」
ネーラはエルノアールの体を空中ブランコみたいに振り回した。照準をネーラに合わせることもできずなすがままに翻弄されてしまう。
ネーラは糸を切り離して宙にふわりと浮き上がると、槌を打つように両手でエルノアールの体を地表目掛けて叩きつけた。
ただし、その先は地面ではない。ベノスの鋼鉄よりも硬い首元が、彼女のことを待ち受けている。エルノアールは受け身を取ることさえできず、ベノスの肩から首にかけてのラインに背中から思い切り叩きつけられてしまった。
「ぐあああああああっ!!」
エルノアールが濁った叫び声を上げる。バックブリーカーのような体制で打ち付けられ、彼女の背中を覆うプロテクターがベキベキと音を立てて砕ける。彼女の海老反りになった背中にベノスの体から伸びる針が何本も突き刺さった。
しかし、エルノアールはベノスの背中に標本止めされている状態でなお、銃をネーラに向け反撃を試みた。ネーラは彼女の抗戦の態度を見て、ニンマリ笑った。
「あはははは!動けるダメージじゃないでしょう?大人しくしてなさい」
ネーラは白い糸を両手から出して彼女の銃に絡ませ、取り上げてしまう。二丁拳銃はエルノアールの手を離れ、もはやネーラの巣と化した宙へと引き上げられてしまった。
ヘルメットから覗く唇が悔しさでキュッと閉まる。
その屈辱に染まる顔が見たくて、ネーラは糸を辿ってエルノアール接近していく。
彼女がエルノアールに目線を合わせた瞬間、彼女の眼前に白い閃光が走った。
「きゃああっ!……なっ……なにっ……」
ネーラは大きく宙に退いて自分の頬に手をやる。そこには一筋の線が走り、紫の体液の体液が垂れ落ちてきた。
「こいつ……!」
ネーラは怒りに燃える目でエルノアールを見下ろす。彼女の手にはいつの間にか一本のナイフが握られていた。太もものホルダーに装着されていたものを引き抜いた勢いで抜刀術のようにネーラを切りつけたのだ。
「んんっ?あんだぁ?」
自分の肩の上という死角で起こった一悶着を怪訝に思ったベノスが、太い腕をエルノアールに伸ばしてくる。エルノアールは体のバネを使って跳び起きると、ベノスの首元を足場にしてベノスの眼前に跳び下りた。そのまま、呆気に取られたベノスと目があう。
途端、ベノスの顔が怒りに燃えた。
「てめえ、なんでまだ動けるんだよぉ!」
太い腕はまだ背中に回したままだ。ベノスは目の前にいるエルノアールを、背中から生えた細い腕で貫きにかかった。
エルノアールは、痛烈な攻撃を受けた直後とは思えない機敏な動きで反応し、刃渡りの長いナイフで、向かい来る腕に逆に刃を立てた。
ギチギチギチギチ……!
カウンターは成功し、ナイフがベノスの腕を縦に卸していく。腕力で引き裂いていた刃が止まってしまうと、
「たあああああああああああっ!!」
今度はその刃の峰をハイキックで押し込み、刃をより深く食い込ませて肉を裂いていく。
「ぐぬうううううううううううっ!!?」
思わぬ反撃に遭いベノスは驚きの声を上げた。
腕の半分ほどを縦に卸したところで、ついにナイフは停止する。
それを十分と見たエルノアールはナイフを引き抜き、反撃を食らう前にバク転で間合いを切って改めてナイフを構え直した。
ベノスは追撃も忘れ、彼女の姿をギラついた目で追うことしかできなかった。ネーラは白い糸で彼の卸された腕をグルグル巻きにして傷口をピッタリとくっつけた。
「あんた、いくら頑丈だからって、それ以上腕失くしたら博士に治してもらえなくなるんじゃない?」
そう言いながら、ネーラは指の腹で頬の傷を強く撫でる。指の先から分泌される糸の成分が膜のように塗り込まれ、頬の傷は止血された。しかし、その眼には、エルノアールに対する憎悪の炎が黒く燃え滾っていた。
「なんだぁ、あのアマ、化け物か……あれだけの衝撃を受けて立っていられる人間がいるわけがねえ……ましてや反撃なんて有り得ねえ。お、俺たちの同じ、改造人間だっていうのか……?」
「そうねえ……あるいは……クスクス……まあ、いいわ……あたしの肌に傷を付けた報いをたっぷりと受けてもらいましょう……もうすぐ、『しあがる』ころだしね……んふふ……」
ネーラが嗜虐を隠さぬ声で笑う。エルノアールはバイザー越しに2体を睨みつけながら、眉間に皺を寄せた。
「何がおかしいのかしら……もう私を倒した気でいるの?気が早すぎるんじゃないかしら、お二人さん?」
強がってはみたものの、脚を止めては恰好の的となってしまう。エルノアールは再びフットワークを使って2体の怪人を牽制し始めた。右に、左に、後ろに、前に。
しかし、2体の怪人は並んで彼女の様子を見つめているだけで、アクションを起こそうとする様子が見られない。
先ほどまでとは打って変わっての消極的な戦法に、疑念は深まる。
(接近戦でのカウンターを警戒しているの?銃を奪った以上、むやみに攻め込む必要はないっていうことかしら……いえ……違う……)
ゲノスとネーラの眼に宿る剥き出しの悪意を読み取り、エルノアールは首を眉間の皺を深くする。
(何か企んでいるわ。……奴らは何かを待っている……それが何かはわからないけれど、この状況が好ましくないというのは確かね。ここは、切り崩すしかない!)
「たあああああああああああああああっ!!」
エルノアールはナイフをキュッと握り直し、強く大地を蹴って怪人に跳びかかった。
みるみる狭まっていく間合い。しかし、彼女の脚は、その間合いを縮めきる前に、不意に止まってしまった。
「なっ……なにっ……これは……」
エルノアールは初めて、明らかな狼狽を示した。彼女はその場で立ち止まったまま、ピクリとも動かない。
思い切り体をよじっても、どれだけ脚に力を込めても、エルノアールの体は全く自由にならない。
2体の怪人はエルノアールの異変に邪悪な笑みを強くすると、全く警戒のないズカズカとした足取りで彼女に近づいてきた。
「捕まえたわ、エルノアール」
「捕まえた……ですって?」
ネーラの言葉の意味を理解できず、エルノアールは焦りを強くする。ネーラはエルノアールが戸惑っている様子を愉悦の眼で眺めた。
「わからない?もっと、よぉく見てみなさい?」
「よく……見ろ……?」
言われるままに目を凝らすエルノアール。
すると、ごくごく細い、キラキラした無数の糸が四肢に絡みついて拘束しているのが視認できた。
「これは……まさかそんな……いつの間に……」
「あたしは白い糸といっしょに、この極軽の見えない糸を一緒に張り巡らせていた。あなたは見える白い糸には注意を払っていたけれど、糸は白だけと思い込んで、忍ばせていた糸には無頓着だったみたいね」
「こ、こんなことが……」
奸計にしてやられたと、エルノアールはルージュの唇を屈辱に歪ませた。
抵抗する術を失ったエルノアールの指からナイフを抜き取るネーラ。彼女がツカツカと後退すると同時に、ベノスがズイっと躍り出て、大きな掌でエルノアールのヘルメットを鷲掴みにする。
糸に絡まれたエルノアールはその腕を払いのけることもできず、苦悶の声を漏らした。
「ぐぅ……」
「ぎひぃ……まずは、おめえにぶっちぎられた腕のお礼をしねえとなぁ!!」
ベノスはエルノアールの鳩尾に丸太のような拳を突き立てた。エルノアールの腹部は強固なプロテクターで覆われていたが、ベノスはお構いなしに拳を叩き込む。防具をその勢いで殴れば複雑骨折は免れないだろうが、砕けたのは特殊合金製のプレートの方だった。
「かはっ……」
両腕は糸に吊られガードすることさえ叶わず、エルノアールは拳をもろに受け、細い身体をくの字に曲げる。
あらゆる情報媒体で幾度となくエルノアールが希望の光を照らすのを見てきた少女たちは、彼女の勝利を心の何処かで絶対の真理として信じて疑わなかった。今、少女たちは目の前に起きている蛮虐に淡い幻想を粉砕され、表情を失った。
「おらよぉ、もういっちょ!」
「えぐぅっ!!?」
1撃目よりさらに強烈な拳がエルノアールの腹を抉るように突き上げた。完全に粉砕され辺りに飛び散るプロテクター。拳圧でエルノアールの腰が大胆に浮き上がり、突き上げられた衝撃が背中からでも見えそうなほどに体が折れ曲がった。
拳が引き抜かれると、太腿が小刻みに震え、ガクリと膝が折れる。蜘蛛糸に囚われていなければ、エルノアールはその場に崩れ落ちてしまっただろう。
「あぎぃ……げえぇ……」
人外の腕力で2発も立て続けに鳩尾を抉られ、エルノアールは魅惑のルージュを引いた唇から胃液交じりの吐瀉物を吐き出した。それが指先に付着すると、ゲノスは額に青筋を浮かべた。
「汚ねえじゃねえか、このアマぁ!」
「あがっ……!?」
ベノスの強烈な裏拳が顎を突き上げ、エルノアールは大きく仰け反りながら殴り飛ばされてしまった。
エルノアールのバイザーが砕け、平時と違い眼鏡をかけていない切れ長の目元が露わになる。絡まっているネーラの糸がプチプチと切れ、後ろに放り出されたエルノアールの体は、辺りに張り巡らされていた白い糸に背中からよりかかるように再び囚われてしまった。
「ちっ……何してくれやがる……」
ベノスは毒づきながら指に付いた胃液を振り払おうする。その手首を、ネーラが横からつかんだ。
「ちょっと待ってぇ。この匂い……」
ネーラはベノスの指に顔を近づけ、臭いを嗅いだ。疑念が確信に変わり、ネーラは邪悪に笑った。
「やっぱり。この女、『エクストキシン』を使っているわぁ」
「エクストキシン……?ぎゃはは……『ヤク』か!今時、そんなもん飲んでいるやつがいたのかよ!確かに、言われてみりゃあ、この独特の甘ったるい臭い……!」
ベノスもネーラの言わんとすることを理解し、歪に笑った。怪人共からエクストキシンの名が出た瞬間、エルノアールの表情が陰る。
二体の怪人は互いに含み笑みで目配せすると、糸にもたれ掛かるようにして項垂れているエルノアールに近づいて行った。
「エクストキシン……超越薬とも呼ばれていたっけ?10年くらい前に『そっち側』で流行ったドーピング剤……効果を十分に発揮するのは肉体的に全盛期の女性に限定されていたけど、効果は覿面でヒロインが戦場でヒーローに比肩する活躍することができる要因になった劇薬……」
ネーラが薄い笑みを浮かべながら近づいていくにつれ、エルノアールはどんどん表情を凍らせていく。
「よせ……来るな……やめろ……」
「筋力増強、痛覚軽減、瞬発力にスタミナ増進……大きな恩恵に小さな副作用……でも……んふふ……その様子じゃあ、知っているみたいねえ、年増戦士さん?その薬の致命的な弱点を……使われなくなった理由を……」
エルノアールの表情を舐めるように見て、彼女の狼狽っぷりを楽しむネーラ。冷静不屈のエルノアールに異変が起こっている様子を目の当たりにして、囚われた教え子たちも言い知れぬ不安に襲われ、じっと教官のことを見守る。
ネーラはエルノアールの前に立つと、彼女から奪ったナイフでスーツについている粉々のプロテクターをスーツから弾いていく。
エルノアールの体が小刻みに震えている。ナイフを向けられた緊張でもない。怒りによる身震いでもない。これから自分の身にもたらされることを明確に察したことによる恐怖が、そこにはあった。

拘束され、身動きの取れないエルノアールの背後にベノスが立つ。ベノスは後ろから腕を回し、エルノアールの純白の胸当ての谷間に指をかけると、横に力を込め始めた。特殊合金製の胸当てがキチキチと細かい音を立てて軋む。谷間に挟み込まれた指を、エルノアールは嫌悪感に満ちた目で睨む。ネーラはエルノアールの体についた破片を取り除きながら、彼女の歪んだ視線を愉しんでいる。
ピキ……ピキ……バキバキィ!!
ベノスの握力に屈し、胸当ては中央からひび割れ、左右に引き裂くようにして剥ぎ取られた。
「ぐうぅっ……!?」
エルノアールの唇が歪む。
現役時代からサイズを変更していない装甲に締め付けられていた双丘が解き放たれて成熟した弾性を取り戻す。武骨な胸当てが奪われたことで、首元から腹部までにかけて肌に密着する黒いインナーが彼女の女性としての魅惑を引き立ててしまう。
「ぎひひぃ……こいつぁなかなか、オツな身体していやがる……」
背後に立つベノスは谷間を容易に覗ける角度でエルノアールを見下ろしながら、バイザーを覆うようにエルノアールの頭に手をかけ、横に傾けて黒のスーツに覆われた首根を剥き出しにさせた。僧帽筋の浮き出た美しいラインの肩を眼下に捉え、ベノスは長い舌で自らの唇を濡らす。

彼は犬歯に涎の柵を作りながら大口を開け、エルノアールの首根に齧り付いた。瞬間、糸に絡まれたエルノアールの手足が痙攣したかと思うと、ピンと伸びて金縛りにでもあっているかのように動かなくなってしまった。
「いぎっ……がっ……あっ……がぁ……」
ベノスの大きな掌に覆われたバイザーの下から覗く顎が震え、だんだんとだらしなく唇が開かれていく。エルノアールの明らかな異変を目の当たりにして、生徒達は表情を固まらせる。
ベノスの牙がスーツを貫通し肉にまで深々と達した傷口から、緑色の怪しい液が滲み出てきて肩を伝っていく。
(毒だ……)
おぞましい色合いの液体がエルノアールの体に流し込まれていくのをただ見ていることしかできない生徒達。その視線を背中に感じながら、ネーラはエルノアールの正面で彼女に起こる変化を好奇の眼で観察している。
程なくして、毒素が注入され苦しんでいるエルノアールの声音が艶を帯び始めた。
「んっ……ぐううぅ……こ……これ……はぁ……」
エルノアールの頬に不意に汗が伝い、整った顎から垂れて黒スーツに覆われた乳房に落ちた。色白の首元が桃色に色づき、汗ばんでいる。毒をたっぷりとエルノアールの体内に流し込んだベノスが牙を引き抜く。鋭い先端にエルノアールの赤黒くねっとりとした血液が毒と混ざり合いながら絡みついている。首根に痛々しく開いた二つの穴。頭から掌が離されると、砕かれたバイザーの割れ目から瞳や奇麗な鼻立ちが覗かれた。
「ふうぅ……ふうぅ……き、さまぁ……」
エルノアールは荒々しく息を吐き、ネーラを恐ろしい形相で睨みつける。
しかし、見開かれた瞳は瞳孔が開ききっており、すでに焦点も定まっていない。
明らかな異常が、エルノアールの身体に起こっていた。
「自分の身体に起きていること、あんたはわかっているみたいねえエルノアール?」
ネーラはエルノアールの熱っぽい吐息の音を聞きながら、性悪に笑った。
「副作用も少なく、魔法の薬と謳われたエクストキシン……でも、その神話は脆くも崩れた。……他でもない、『ウチ』の博士が開発した毒とエクストキシンが体内で結合する時、奇跡の薬は瞬時に悪魔へと変貌を遂げる……神経伝達の齟齬、それに伴う五感の暴走、幻覚、昏睡、判断力の低下、強い抑鬱、そして……」
ネーラは言葉を切ると、エルノアールのナイフの刀身をベロリと舐め、その先端でエルノアールの右乳房の頭頂をクリっといじった。
それはほんの少し、スーツの奥にある突起を小突いた程度だったが、その刺激はエルノアールに劇的に作用した。
「いぎゅっ……がああああああああああああああああああっ!!」
エルノアールが天を仰ぎ、獣のように吠えた。黒いスーツに覆われたたわわな乳房の頂にぷっくりと突起が浮かび上がり、唇からだらしなく涎が垂れ、脚がガクガクと震えているのが傍から見ても明らかにわかった。囚われのヒロインの浅ましい変貌に、ネーラは頬を歪に吊り上げた。
「最も致命的だったのが、色欲の暴走。それまで快楽が何たるかも知らないような生娘だった、心身共に鍛え上げられた優秀な戦士達が、毒を注入された瞬間、抗う間もなくケダモノに堕ちて怪人の目の前で次々によがり狂った。こんな風に……」
ネーラは長い爪でエルノアールの胸に浮かび上がってきた突起をつねり上げる。それが致命的スイッチとなり、エルノアールの体中の性感は一斉に覚醒してしまった。
「いぎゃああああああああっ!!ひいいいいいいいいいいいいっ!!」
エルノアールは品のない叫び声を上げて背筋を反らし、体中に走る快刺激に喘いだ。豹変と言って良いエルノアールの凄惨な姿に生徒達は色を失い、怪人共は悦楽の歪んだ笑みを浮かべた。
「あははははは!どうだい、この効き目!!鍛え上げられた戦士も豚に早変わり。魔法の薬エクストキシンはこうして姿を消したのさ!!」
ネーラは高笑いをすると、ブーツを履いた脚でエルノアールの無防備に半開き状態になっている股間を思い切り蹴り上げた。機動性を鑑みて装甲は施されていない。エルノアールはその蛮虐行為に反応することさえできず、ネーラの足はエルノアールの股間に奇麗に突き刺さった。衝撃がエルノアールの骨盤を起点に身体を貫き、感覚が暴走しているエルノアールはそのダメージを何倍もの痛覚として味わうことになった。
「んぎいいいいいっ!!?」
感知できる痛みの閾を盛大に超えた痛覚に襲われ、エルノアールの眼球がグルリと周って白目を剥き、呼吸が止まる。ネーラがパチンと指を鳴らすとエルノアールの身体を捕えていた糸が緩んで彼女の身体を解放し、エルノアールはヘルメットから芝生に倒れ伏した。
「あぎぃ……!?」
地面に落ちた衝撃で覚醒したエルノアールは横たわり、自分の股を両手で押さえて悶絶する。太腿を締め背中を丸め息を呑み、痛みと、身体の芯から沸き上がり身を焼く熱に耐えた。
「いぎっ……んんんんんぁあああああああああああっ……」
超越薬と怪人の毒によって生み出されてしまった猛毒に苛まれるエルノアール。
急所に受けた痛みすら妬け付く媚熱を伴うままならなさに、熟練の女戦士は翻弄された。必死に意識を保とうと霞んだ視界に注意を向けても、視神経は3秒に1度くらいしか情報を伝達せず、ヴィジョンは不鮮明に明滅を繰り返す。女怪人が高笑いしながら離れていく足音が聞こえる。地面こすり合わせた頭に響く女の声は酷くハウリングして、何か言っているようにも思えるが、痛みと熱に浮かされている状況も手伝って、内容を聞き取ることなど到底できない。神経は暴走し、情報は混濁する。視界と、聴覚、それに伴う判断はもはや同じ時間軸になく、そのズレにエルノアールは眩暈を覚えながら地面でのた打ち回った。
「あんた達、エルノアールの生徒だろぉ?」
ネーラは地面に這い蹲っているエルノアールを放って、渡り廊下に歩み寄り生徒達に人懐っこい笑みを浮かべて話しかけていた。しかし、それに答える者はいない。彼女たちはみな顔を土色にして、猛毒に冒されて苦しみ悶えているエルノアールに戸惑いの視線を送っているのだ。
「ねえ……聞こえなかった?どうなの?」
「ひっ……」
ネーラが細めていた眼を広げ声音を落として聞き直すと、少女たちは引きつった声をあげて頷いた。
その恐怖に支配された表情に満足すると、ネーラはニンマリ笑って見せた。
「悪に敗北したヒロインがどうなるか知っているかしらぁ?」
ネーラが意地悪く問うと、「敗北」という認め難い現実を突き付けられ、少女達はその絶望的な言霊に思考を支配される。
生徒達の狼狽を愉しみ、ネーラは頬を吊り上げる。
「あははは!学校じゃ教えてくれないわよねえ?これからヒロインを目指そうとする良い子ちゃん達に、先生達は教えてくれるわけがないわよねえ!」
ネーラは高笑いして、エルノアールのそばに立つベノスの方へ振り向いた。
「あんた!このお嬢ちゃん達に見せておやり!あたしらに楯突いたバカな女の末路をさあ!」
「お前……げひひぃ……ひでえこと言いやがる。たまんねえなぁ……」
ベノスは好奇の笑みを顔面に湛え、エルノアールのヘルメットを剛腕で鷲掴みにして持ち上げる。エルノアールは成すすべなく肢体をだらんとさせて頭から吊りあげられ、グウゥと苦悶の声を漏らした。
「あ……ひっ……な……にを……す……る……はな……せ……」
垂れていた腕が緩慢に持ち上がり、自分の頭を掴む腕に指をかける。しかし、それは抵抗と呼べるものですらなく、エルノアールはクレーンで運ばれるようにして生徒達の眼前へと引きずり出されてしまった。彼女が教え子達の姿を視界に捉え、自らが晒し者にされようとしていることを理解するのに数秒を要した。
自らにもたらされようとしている処遇を、エルノアールは初めから理解している。少なくとも、ベノスの毒に冒され思考を鈍らせるまでは、可能性として完全に念頭に置かれていたことである。
それを現実のものとして直面し、エルノアールはマスクの下の顔を恥辱に染め上げた。
「よせ……やめろ…………」
「さあ、みんな、よぉく見ておきな?エルノアール先生からの最後のレッスンよぉ。敗北ヒロインの末路がどんなものか先生が身をもって教えてくれるわ!」
ネーラの言葉を合図に、ベノスがバイザーの縁に手をかけて上に引き上げ、エルノアールのヘルメットを脱がせようとする。頭を引っ張られて、エルノアールの白い喉が生徒達の眼前に露わになる。あくまで常識的な方法でもって装着されているヘルメットは反発らしきものも見せないまま、ベノスの手によって難なく脱がされてしまった。
「あっ……」
マスクの下に隠されていた素顔が明るみになり、生徒達は思わず息を呑む。
予想通り、そこにあったのは鳳条教官の顔だった。
しかし、その表情は彼女達が抱いている彼女のイメージと全くかけ離れており、生徒達はギャップに狼狽えた。
普段架けている眼鏡はなく、美しくも充血した瞳が蠱惑的に光る。
ヘルメットを無理やり外したために頭の後ろで団子にしていた髪が解け、結び癖でウェイブのかかった黒髪が汗ばむ額にへばりつく。肌は上気し桃色にそまり、半開きの唇はぬらぬらと妖しい艶を放ちながら、熱い吐息を漏らす。目は充血し、焦点は定まらず、黒く長いまつ毛に汗が付着し悩ましく光る。そこにあったのは厳然たる指導者としての顔ではなく、雌として成熟した蠱惑を放つ女の顔だった。
「おっと……どんな面をした年増かと思えば……げひひぃ……こいつはオツだぜ、脂の乗った良い女じゃねえか……」
ヘルメットを遠くに投げ捨てながら、ベノスは鳳条教官の蕩けた顔を舐めるように眺めて品定めする。
猛毒に冒され、股間を痛打された鳳条教官はその場で両膝をつき、ガクリと頭を垂らす。
教官の無力な雌としての姿を見せつけられて、ほとんどが乙女である生徒達にもネーラの言う「末路」の意味するところを察せられてしまう。
それを裏付けるように、ベノスの股間部を覆う黒い毛から、太く禍々しい肉棒が体積を増しながら反り上がっていく。
人間のそれと形状は同じだが、カリ首にゴツゴツのイボがついていたり、浮き出る血管が不意に脈打ったりと、より禍々しい造形。
カレーみたいな焦げ茶色をした凶悪な肉棒は人間の上腕よりも長く太く隆起すると、裏筋を生娘共に見せつけながら興奮でビクンと震えた。
「いやぁ……」
あまりに卑猥で冒涜的な存在に耐えかねて、少女達のほとんどが思わず目を背ける。ネーラはサディスティックに微笑むと、腕を前に軽く出してピアノを弾くように指を滑らかに動かす。指の動きに合わせて細い蜘蛛糸が少女たちの首に伸び、絡みつき、彼女たちを糸で操って前を向かせ惨状を強制的に見せつけた。
「こらこら、よそ見をしている暇はないでしょう?これから先生の最後のレッスンなんだから、おほほほほほ!あんた達が先生と慕うヒロインが『散華』に遭う瞬間をしっかりとその目に焼き付けなさい!」
ネーラが子供達に語り掛けている間も、鳳条教官はなんとか立ち上がって抵抗しようとしていた。ベノスはそんな彼女の頭を掴んで膝立ちにさせたまま、反り上がった剛槍の先端を彼女の筋の通った鼻先に突き付けた。
「うっ……やめろ……」
鳳条教官は頭を掴まれている状態ながらわずかに顔を背け、肉薄する鈴口の先端を見つめる。じわっと漏れる液は粘性を持ち、地面へと糸を引きながら垂れていく。その視線には侮蔑と、恥辱と、恐怖と、身体の奥から沸き立つ色情がドロドロに混ざり合っている。
鳳条教官の切れ長の眼に宿る媚熱がベノスの雄を滾らせる。ベノスは鳳条教官に無理矢理正面を向かせると、魅惑的な唇に肉棒を押し込んだ。
「……んぐうっ!?」
くぐもった声を上げて眼を見開き、歴戦の戦姫は怪人のペニスを咥え込んだ。唇は顎が外れそうなほど大きく開かれ、とても噛み切るなどの抵抗ができる太さではない。完全に咥内がおぞましい肉でパンパンになっているにも関わらず、怪人のペニスはまだ三分の一も咥え込まれていない。しかもまだ、そのペニスのサイズがマキシマムであるという確証すらないのだ。
「そら、ああ?初めてじゃねえだろぉロートルヒロインさんよぉ?もっと自分で動くんだよ!」
膝立ちで怪人の逸物を咥え込まされた誇り高い才媛は強引に頭を前後に動かされ、亀頭を扱く道具にさせられる。それはとても頬張れる大きさではなく、肉棒が咥内の壁にゴツゴツと当たって彼女は度々えずき、くぐもった息を漏らした。
「よぉく見ておきなさい?敗北した女はああやってモノへと堕とされる……」
女怪人は戯れに、堕ち行くヒロインを教材にして呪わしい実践講習を開く。それが女教官の矜持を蹂躙し、恥辱を煽ることを知っているのだ。
「知ってるぅ?ああやってお口で雄を喜ばせるのをイラマチオっていうのよぉ?」
ネーラは少女たちの傍らで愉悦に頬をゆがめた。彼女の咥内で怪人の我慢汁と唾液が混ざり合ってグチュグチュと音を立て、口元から細かい気泡が溢れてくる。信じてきた教官が雄のおもちゃにされる姿は受け入れがたく、ほとんどが乙女である潔白な生徒達から「いやあ」という小さな咽びが口々に上がった。
「げひぃ……いいじゃねえのぉ……んっ……おうぅ……ぐぅおぉぉおうぅ……」
「おおごっ……ぅ……ごおおぉ……」
ベノスが興奮して低く吠え、エルノアールの頭のピストン運動をさらに速めていく。
三分の一ほどだった「挿入部」はどんどん深まり、ほとんど根元までもが咥え込まれる状態になっている。
そのおぞましい太さと長さには咥内だけではとても及ばず、ベノスの肉棒は食道を拡張しながら突き進んで一時的に亀頭が胃にまで達した。肉棒はガチガチに隆起しているにも関わらずホースのような柔軟さをも併せ持ち消化器官をゴリゴリ押し進む。極太のボツボツペニスは呼吸器官をも圧迫し完全に気道を封鎖してしまう。激しい嘔吐感と窒息に苦しみ、エルノアールは顔を真っ赤にして悶絶して力の入らない腕で緩やかに空を掻く。しかし、そのような責め苦を受けてなお、彼女の身体は淫らに反応し、胸に浮かんだ突起はさらに硬く、大きく勃起して、雌としての異常な昂ぶりを主張した。
「気高きヒロインが敗北し、雌として扱われる。これが『散華』よ」
エルノアールの苦しみ歪みながらも匂うような妖艶さを醸し出す痴態を愉しみながら、ネーラは子供たちに世の闇を解説する。
「おほほほほほほほほ!言葉くらいは聞いたことがあるんじゃない?ヒロインが敗北してレイプや性的拷問を受けた時、その事実は『散華を受けた』という婉曲表現をもって報道される。今まさに、あんた達の先生が受けているのがそれ!正義の味方を気取るヒロインの無様な末路!!あははは!!……ちなみにヒーローがレイプされた場合には『砕牙』ね、あんまり浸透していないけど」
ネーラが高笑いすると同時に、ベノスもまたその昂ぶりが最高潮に達した。ベノスはエルノアールの頭を股間に押し付けると、亀頭が奥へ奥へ行くように腰を前に突き出した。
「ぐううおおおおおおおおおおおおおおぉぉ……」
ベノスの低い唸り声と共に、強い粘り気を持った白濁液が胃に達した鈴口からたっぷりと発射された。エルノアールの狭い咥内でペニスが雄の欲望を吐き出しながらビクンビクンと脈動する。エルノアールの喉が盛り上がり、胸部が膨れて咥内に流し込まれたザーメンの量を物語る。
白濁液は胃を瞬く間に満たし、ペニスがゆっくりと引き抜かれるのと同時に逆流して唇から盛大に溢れ出た。おぞましい粘液が首筋を伝い、肌にぴっちりフィットしたスーツに零れ、魅惑の起伏のついた黒い胸を流れて白い川を作る。ベノスがエルノアールの頭から手を離すと、彼女の身体はガクリと崩れ落ち、お尻を突き上げた体勢で突っ伏してしまった。
「あぁっ……げええっ……」
エルノアールは地面に頬を付けたまま嘔吐し食道に残っている生臭い液をぶちまけ、目の前に作った汚い水溜まりを蕩けた瞳で見つめる。ベノスは彼女を見下ろしながら肉棒をピクピクさせ、尿道に残っていたザーメンをエルノアールの背中に噴き出して汚した。
「あんたぁ!まさかもう萎えちまったんじゃないだろうねえ!?」
「ぎゃははぁ!んなわけねえだろうが、こんな上玉を前にしてよぉ!見ろよ、まだまだギンギンだ!」
ネーラの品性の欠片もない野次に対して、ベノスはリットル単位のザーメンを吐き出してなおそそり立つ肉棒を扱いて絶倫を見せつけた。エルノアールはベノスの足元で、両肘を地面について満身創痍の身体を起こそうと苦慮している。
「カメラも持ってくるべきだったわねえ……いくらでも高値で売れるでしょうに」
ネーラは嘲笑しながら指を躍らせる。すると見えない糸がエルノアールの手足に絡みつき、彼女の身体を操り人形のように持ち上げていく。
「くうぅ……ああぁ……」
両手首を吊られ宙で体をT字にされたエルノアールは、熱を帯びた声を上げる。スーツに糸が食い込んで媚肉がなだらかな峰を描き、彼女の肢体のなまめかしさを強調する。